記事タイトルからして愚痴です。

今回は愚痴。

字が汚い

僕は字が汚い。小学校・中学校の卒業文集は見るに堪えない。とにかく字が汚いんだ。ミミズが這うような字を書くぞ。

学童の頃は別になんの意識もしてなかったが、社会に出てからそうもいかなくなった。書類を作成するうえで、パソコンではなく手書きで書かなければいけない場面がいくつかあって、そこで自分の字の汚さを露呈した。露呈したというより、他人に「おまえ字が汚いな」と面前で罵倒されたことにより、自分が字が汚いことを把握し、さらに自尊心をこれでもかというくらいにエグった。

というわけで僕の字は今でも絶賛汚いぞ。ただ、まぁ、そうやって言われてからは、読めない字を書くようなことはなくなった。

字が汚いことで怒られる理由

読めないのは、まずい。人に読ませるために書いた字が読めない、となると、本分を全うしていない感ある。ゴールに辿り着いてない。だから、誰かが読む場合はせめて読める字で書く、これは常識。

だが、読めるは読めるけど「汚い」場合はどうなのか。見ている人に精神的なダメージを与えるから、怒られても仕方ないのかな。

いや、別に読めればいいだろ。なにを見栄をはっているんだ。もしかしてあれか、社外に出る文章で手書きの部分があって、それが汚い字だったら会社の面汚しとか、そんな風に考えてんのかな?いかにも外面のよい日本人的な気質で反吐が出るな。そんなもので本質は判断できないっしょ。

もしかして、字が汚いのを、「身なりが汚いのと同義だ」とか思ってんじゃないの?身なりは本人の意識付け次第でどうにでもなるよ、極端な例を出すなら、相手先との会議にぼさぼさ頭のスエットで出席するのは非常識で、頭髪を整えてスーツでビシっと決めるのは常識である。では、汚い字を社外に出すのは非常識で、きれいな字は常識である、と言えるのか?それはねぇ、僕的には暴力だよ。

字はすぐに綺麗にならないんだってば

僕のいないところで、僕の書いた書類を見た上司が「きったねえ字だな」って言ってるの聞いてしまったんだよ、それでほんと、悔しくて悔しくて。存在を否定されているかのような感覚に陥った。今に見てろよ、字がきれいになってやる!と、まるで恋人に振られて「綺麗になって後悔させてやる」的な感覚で字の練習を始めたはいいんだけど。

全然上達しない・・・。いくら書いても駄目。これって、ペン字教室とかに通わんと駄目なんか?

「字が汚い」関連で書籍を探しえみるも、コレというものには出会えず。とりあえずあいうえおの書き取りから始めて字の練習を始めたは良いんだけどさ。一向に字が綺麗にならないでやんの。ま、そりゃそうよね、一朝一夕に字が綺麗になったら、苦労はしねえし、ペン字教室もおまんま食い上げです。

ペン字教室に数年通って「字が綺麗になりました」って人は、実際にいるみたい。けど、やっぱ、字の綺麗さって短期間でどうこうなるものじゃないんだわ。今回はそれを実感した。それなのに・・・

字が綺麗だからとマウントを取ること

確かに、指摘する上司の字は綺麗です。とても読みやすい。が、だからといって、部下の字を「汚い」と罵るのは、どうなんだろう。もし、自分の字が汚かったら、指摘できなかったと思うし、字が綺麗じゃない人に指摘されたことはない。つまり、自分の字が綺麗だから、安全地帯から「字が汚い」という攻撃を平然と繰り出してくる。こういうのを見ると、本心から尊敬はできない。ある程度の仕事はできるかもしれないけど、人間性としての底が見えるというか、「ああ、本当の意味でこの人は優しくないな」となる。

字が綺麗な人がすべて、字の汚い人にマウンティングするかというと、そんなことはない。字がきれいでも、僕の字を見て何も言わずにいてくれる人だって当然、いるよ。けど、その件の上司は字の汚さを平然と口にする。

部下に対する期待から、そういうことを言うの?それならまあ「頑張ります」と前向きに受け取って処理するわ。その方が精神衛生上、いいし。けどさー、あんたは自分が字が汚くて、それを誰かに「汚い」とか言われて、そんで悔しい気持ちになったことがあるのか?きっとないに違いない、そういう人は、言われるこちらの痛みに気が付かない、優しくない心の持ち主なんだ。

今すぐどうにかならない問題を、平然と口にして相手にぶつける時点で、正直、上司としては失格。共感力が欠如してるし、いつか誰かを追い詰めて病気にするタイプだ。そして、こういう人は強者の驕りが随所に見える。自分が頑健でクレバーで字が綺麗な能力があることを武器にして、ほかのだれかを切りつける。それで、優越感に浸る、残念な人。誰もそういう指摘しないから気づかないかもしれないけれど、僕はもう看破しているよ、あなたの人間性をね。自分の能力が基準となり、それ以下の人を切り捨てるそのスタンス。はっきり言って、人としては駄目な部類だよ。

社会の縮図を見ている気持ちだ

例えばの話。

少し注意欠陥ぽい気質があって、ケアレスミスをよくやる人に対して「あいつは駄目」とか蔑んだ目で見て迫害するかのように。

字の汚い人に対して自尊心を傷つけるような言い回しで罵倒するその言動。これって、社会の縮図を見ているかのよう。

適応できない、グレーゾーンのコミュニケーション能力の低い人たちを、罵るかのように。今すぐどうにもならないことを、指摘するそのデリカシーの無さ。

なんか、すごい無力感がある。こんな「強い」人たちが世間では蠢(うごめ)いていて、姿勢を崩した「弱き」人たちに、これでもかとばかりに罵詈雑言を浴びせる。

その人にしかわからない事情があって、仕方のないこともあるんだ。そういう想像が、できない。どうして、もっと、弱い人に寄り添えないのだろうか。

この世の中には、自称「強者」が溢れかえっている。そして今日も、「自分は正しい」という御旗を掲げて、世の中を行く。

ちょっと、呪いチックな考えをあけすけに言ってしまえば、そういう幸運な人は、いちど不運に見舞われてどん底に落ちてみたらどうだろうなって想像する。いっかい、底をつく体験をしないと、人の痛みなんてわかんないんじゃない?地獄見て来いよ、そんでその鼻っ柱、極卒にへし折られてこい。そうしたらお前にも、優しさってものが理解できるだろうよ。ふん。

 

以上、愚痴だ!

 

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