1しじみ ★2019/09/24(火) 15:00:30.94ID:XMM5teOE9 ■ローマ帝国の衰退を引き起こしたという通説ほど、欧州を蹂躙していない可能性
西暦370年頃、フン族の大軍はヨーロッパへと進んだ。その過程で、ゲルマン諸族は支配下に置かれ、拡大するフン族の領土から逃げるように他の土地へと移っていった。ところで、フン族は一般に残忍とされているが、本当にそうだったのだろうか?
ただ、この問いに答えるのは難しい。歴史家のピーター・ヘザー氏は「フン族は今も多くの謎に包まれている」と記している。何しろ、彼らの歴史について記録された文書はほとんどなく、その起源もはっきりしないのだ。フン族は遊牧民族で、現在のカザフスタンあたりで勃興し、350年頃にはステップ地帯東部を制圧したと考えられている。なかにはフン族を、紀元前3世紀末から紀元前2世紀初頭にかけてアジアの大半を統一した遊牧民族、匈奴(きょうど)に連なるチュルク語族だとする学説もある。
フン族は黒海に沿って移動し、その通り道に暮らしていた他民族を次々と蹂躙した。フン族が移動する地域に元々暮らしていたヴァンダル人、西ゴート族、ゴート族などは、よりローマに近い地域へと逃れた。フン族の移動がローマ帝国の安定を脅かしたことで、フン族に「残酷無比」との風評が定着していった。
フン族の中でも特に悪名高い王がアッティラで、フン族のイメージを不動のものとした人物だ。440年から453年にかけて、アッティラはフン族の大軍を引き連れて、ガリア地方(現在のフランス)を含むヨーロッパ全土に侵攻。その途上、好き放題に略奪を行ったアッティラは、「神の鞭」との異名で呼ばれるようになる。新しい領地に攻め入るたびに、フン族は筆舌に尽くしがたい暴虐を行ったという。
■遺骨が語る、まったく異なる物語
しかし、考古学的な証拠が語るのは、まったく異なる物語だ。例えば、2017年、考古学者のスザンヌ・ヘーケンベック氏は、現在のハンガリーに位置するローマ帝国の属州パンノニアに埋められていたフン族の骨を分析した。同位体分析の結果、わかったのは、フン族はローマ人と共存し、文化的にも交流していたということだ。フン族の歴史は「必ずしも争いばかりの物語ではなく、そこには国境を超えた交流と適応があったのです」。2017年、ヘーケンベック氏はワシントン・ポスト紙にそう語っている。
結局、アッティラ王は、ローマ帝国本土には一度も侵攻することなく、死後、彼が築いた帝国は469年頃に崩壊。そして「蛮族だ」とするフン族の評判だけが長く残ることとなった。ギリシャの歴史家ヨルダネスは6世紀に記した文書の中で、彼らを「裏切りの民族」と呼んだ。
フン族は、ローマ帝国の衰退と関連付けて語られることも多い。しかし、現代の歴史家たちは、フン族はローマ帝国の崩壊に直接的な役割を果たしたとは言えないとする。フン族が侵入した原因は、むしろローマ帝国に内在していた不安定さだというのだ。
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